2020年

12月22日(火)

       茶席 

       KIMONO 

この写真は友人の茶名披露で、場所は裏千家ゆかりの”大橋茶寮”。紙面に日付が入っているが

1987年12月27日、慌ただしい年の瀬で私も帰省を変更して出席した。友人は”大橋茶寮”の女将の

代稽古をつとめるほど信頼が厚く、身内処遇で営業最終日の茶事となったようだ。バブル真っただ中、

忙中閑ありの和やかな茶名披露だった。



 赤坂”辻が花ギャラリー”に出品 きもの 
    
友人のきものは初めての個展の折に染めたもので、金糸を織り込んだ豪華な生地を使っている。

文様は矢のみを横に並べたシンプルな意匠。

今年は外出することが少なかったので、きものを着ることも少なかった。籠りっきりといってもいいが盛夏に催された

東博のKIMONO展と、先月久し振りに訪れた日本民藝館の混雑が印象に残る。

どちらの会場も、きもの姿の来観者が多く、特に若い人達の自由闊達なセンスは大いに目を愉しませてくれた。
                   
        
    
11月2日(月)                                                                                                                                                                                                                                 
                               
            
 KIMONO  KIMONO  
                                                                                                    


三姉妹がいる親友の長女の結婚式スナップショット。私の左、次女のさんが着ている藤色の振袖は私が

染めたもので、右、三女さんの振袖は当時人気があったフランソワーズ・モレシャンさんのデザイン。

綺麗な花嫁さんの写真がないのは残念だが、妹さん達も春爛漫、幼い頃から一緒に遊んだ女の子とは

別人のように感じられ、花に包まれているような思い出深い高松での一日となった。

振袖は一九九五年長女の成人式に合わせて染めた。三姉妹は順番に成人式やお祝い事に着用してくれ、

それぞれの結婚に際して訪問着を新調した。
                                                          
            
                    
さんとさん
                KIMONO
                                                 
            
Eさんの白地は雲錦(うんきん)という古典的な吉祥文様で、上部は雲のように霞んだ桜、 帯から

下は錦のように重なる豪華な紅葉。

Tさんの深緑は地紋の大きなカトレアを活かした地紋起こしという手法を基調に、少し小さめな

カトレアと名物裂風の横段を入れてモダンではあるが格調を醸すようにした。

註文帳に三姉妹の寸法があり、当時は嫁入り支度として訪問着だけでなく小紋や喪服も買い揃えて

いたことがよく分かる。

それぞれ健全なお母さんになられているが友人の話によるとお孫さんは男の子が多く、女の子は

一人だそうだ。ということは藤色の振袖は近い将来、三女さんとそのお嬢さんが住む四日市へ

行くことになるだろう。



10月1日(木)

萩文様の訪問着                      
         秋のきもの


左裾から後にかけて御所車
           秋のきもの                      


表千家の茶道を嗜まれる方の御註文。お召しになっている写真より、下の撞木にかけている金茶が

実物の地色に近い。色白で華奢な方だが、このような個性的なデザインを面白がり着こなして下さった。

お茶会が盛んに行われた時代で、色無地のきものが基本だった茶席も控えめにすべき席主が率先して

きらびやかに着飾るようになった。
                     


9月4日(金)

外出自粛で仕事関係のものを整理していると懐かしい写真が色々と出てきた。自分で撮った写真は

記録のためなので無造作だが、お客さまが送って下さった写真には様々な想いが込められていて、

眺めていると感動的である。しばらくはお客さまがお召しになったきものシリーズで。


                               
結婚式 お色直し 振袖                              
       
成人式に振袖を誂えた方は結婚式のお色直しでもお召しになることが多い。

この写真も二十歳の時、卯年生まれに因み竹に兎の文様で染めた振袖を結婚式のお色直しで

お召しになったもの。鬼しぼ縮緬を使っているので猩々緋の地色が深い。

                            
成人式 お母さまと 振袖
                                                

         振袖   

           
8月20日(木)

早朝、窓を開けると涼しい風が入ってきた。炎暑続きで明け方から30℃を超える日もあったが

流石に旧盆を過ぎると微かではあるが秋を感じるようになった。

連日ボーとして集中力が欠けているので新しい仕事は避け、古い写真や図案の整理をしている。



コスモスの帯 帯                                              
                     
子供の頃、秋になるとコスモスに包まれて遊んだ。商店街の外れに広い野原があり、子供の背丈より

高い色とりどりのコスモスが咲いていた。従弟妹達とたわいなく花の中を走り回るだけなのだが、

澄み切った青い空に映え、風に揺れる白やピンク濃淡のコスモスを友達のように感じていた。

野原には何時の間にか映画館が立ち、斜陽後はマーケットに変わったが、現在は大型店の進出で

シャッターを降ろしたと聞いている。


  単衣の茶屋辻訪問着 きもの                                           


単衣の訪問着は六月と九月に着るので涼感を漂わせるように心がけて染める。

コスモスの帯も茶屋辻訪問着も、九月になると出番だが現況ではきものを着ることも難しい。しかし

今回の東博KIMONO展で驚いたのは、来場者にきもの姿が多いことだった。

きものは日常から離れてしまったが、それを必要とする人達、特殊な職業ではなく生活の中で自然に

着ることを愉しみ、暑さなど軽く受け流す人達が少なからずいることに改めて気づかされた。
        
      
7月18日(土)

四月から始まる予定だった東京国立博物館の特別展KIMONOが変更となり

六月末から八月二十三日まで開催されることになった。”松浦屏風”が最初の六日間しか

展示されないので早々に出掛けて行った。会場は思いのほか充実し、徳川記念財団から大奥の

小袖や調度品、京都島原の”輪違屋”から太夫の打掛や丸帯などが出品され豪華絢爛の極み

だったが、灰色系の火消半纏がズラリと並ぶ江戸っ子の粋というコーナーや、庶民的で懐かしい

モダン・デザイン・コレクションという銘仙のコーナーも印象深い。

薄黄縮緬地鷹衝立文様友禅染振袖

         小袖

今回の特別展を私が心待ちにしていたのは久し振りに大彦(だいひこ)コレクションのきものに

会えると思ったからだ。

大彦コレクションは明治時代、日本橋橘町の呉服問屋大黒屋の養子に迎えられた野口彦兵衛氏が

収集した百二十点に及ぶ江戸時代のきものから成り、彦兵衛氏が大黒屋と同じ町内に別家として

”大彦”(大黒屋彦兵衛)を起こしたことから、そう呼ばれるようになった。一九七〇年代前半に

東京国立博物館の所蔵となり、展示される折には必ず大彦コレクションとキャプションがついていたが

何時の頃からか消えてしまった。

江戸両国生まれの彦兵衛氏には二人の子息があり、染物は京都といわれ筆頭として三井流(三越)と

西京流(高島屋)が競う中、兄弟は京都にない東京好みの染物の創作に力を注ぎ大彦流として名声を

上げ、三大主流と呼ばれるようになった。やがて長男が新しく”大羊居”を起こし次男が”大彦”継ぎ、私が

友禅染工房に入った頃は二代目”大彦”の野口真造氏が健在で、業界の写真雑誌を見てカルチャーショックと

ともにその名前を知った。”大彦”のきものはヨーロッパの風景やインドの建築などシュールで奇抜な意匠が

多く、しかも確固たる染繍技術は別格で、業界を牽引していることが直ぐに分かった。真造氏は両国育ちで


幼なじみだった芥川龍之介の著作にも登場している。

予想通り特別展の会場には上の写真”薄黄縮緬地鷹衝立文様友禅染振袖”が若衆風ファッションコーナー

に展示されていた。私が持っている古い大彦コレクションの本や資料にはどれも振袖ではなく小袖と表示

されている。袖の長さだけでなく、意匠の大胆さから若衆が着たり若い女性が遊び心で男装用に使ったと

考え、華やかな振袖と改めたことは十分に納得できる。

大彦コレクションは関東大震災や世界大戦の空襲を潜り抜け、辛うじて残ったのが百二十点ということで、

私が良くぞ残ってくれたと思うきものは今回出品されなかった。それは下の写真、”白地竹紋辻が花染小袖”。

白地竹紋辻が花小袖                  
         小袖


この小袖は徳川家康が所持し、後に狂言鷺流の家元へ下賜したと伝えられている。私はこの品格ある

小袖を見る度に、胸の透く思いがする。正に江戸好み、武家好み、そして彦兵衛氏の”大彦”好み。

遠い昔、かくも洗練された意匠と、高度な技術を生んだ先人達を誇りに思い、敬意を表したい。

二点とも重要文化財。作品の名称や制作された時代は研究者によって異なり、年月を経て変わることもある。拙文は現在の文化庁記載の倣っている。
            
                              

7月6日(月)
                         

    七夕文様の訪問着 KIMONO  


写真の整理をしていると七夕文様の訪問着が出てきた。一九八〇年代、四十才位の方から

御註文を受けた。きものは季節を先取りするので六月の後半に着る単衣として染めることに

なった。着る機会が限られる、かなりの贅沢品だ。

ブルー地を文様の部分だけ白落としぼかしにして、前身頃に機織り機や五色糸、定番の短冊、

笹の枝、梶の葉を散らし、後身頃には箜篌(くご= 百済琴)も入っている。

                                       
      後身頃 KIMONO                     
                                                           
         
4月21日(火)

きもの業界にまだ活気があった頃、親しい湯熨店(染加工の最後に蒸気を当てて生地のシワを

伸ばしたり、巾を整えたりする業種)で何度か不思議な色彩の反物を見かけたことがあった。

エキゾチックな青系の地色に薄紫の不定形な飛び柄が印象的で、強いていうならエルメスの

スカーフを連想させた。どこの問屋のものでもなく、作家のものでもなさそうに思えたが、店先では

お互いの仕事に立ち入る話はしないので心惹かれながらも染人は不明のままだった。

ある日、湯熨店の奥さんが私の横に立っている若い女性に「領収証は”ねむの木学園”でいいですか?」

と尋ねた。大人しそうな女性は黙ってうなづいた。私が心惹かれていた反物は宮城まり子さんの¨ねむの木

学園”で染められていた。学園の子供たちが描く絵の素晴らしさは知っていたが友禅染には驚き、

どのような方が指導しているのだろうと思った。何と!宮城まり子さんが自ら西武新宿線の小平にある

手描友禅染工房へ通い技術を習得したと訊き、その情熱に畏れ入った。デザインは池田満寿夫氏を

はじめ名だたるアーテストたちが子供達に協力したという。

宮城まり子さんは私が物心ついた頃、紅白歌合戦にも毎年出場するスター歌手だった。接ぎのある

オーバーオールに帽子を被り戦災孤児の健気さを歌う<ガード下の靴みがき>という曲は大ヒットした。

 歌声も耳に残るが、少年に扮した人懐っこい表情は愛くるしい中に切なさを秘め、大勢の人達を魅了した。          

その後も女優、アニメーションや人形劇団の声優として活躍されていたが一九六八年、私が工房へ

入った同じ年に社会福祉の”ねむの木学園”を設立した。肢体の不自由な子供たちと生きるために

あらゆる模索を続けてこられたことと拝察するが、水や電気を使い工程の複雑な手描友禅染は

結果として学園の子供達には適さなかったようだ。湯熨店で見かけた青系の反物は紬地だったので

勝手に帯だと思い込んでいたがテーブルセンターやタピストリーなどの小物だったかも知れない。

二年ほど前に掛川市にある”ねむの木学園”を訊ねた。僅かでも子供たちが染めた作品を見ることが

できればと思っていたが、友禅染を指導する大変さを目撃した職員に辛うじて会えただけだった。

”ねむの木学園”のどんぐり美術館      
          ねむの木学園

        
”ねむの木学園”のどんぐり美術館はセンスのいい建物だが、展示されている宮城さんが作った
          
ガラス皿の並ぶコーナーも抜群のセンスで、静かな清澄感が漂っていた。作品一つ一つのデザイン、

添えられた言葉、コーナー全体のレイアウト、そして人気がないのも好ましく私はしばし、その空間に

佇んでいた。

ガラス作りは幼少からの念願で、七十歳になって望みが叶ったようだ。友禅染に向かったのも、

ただ子供達のためばかりではなく宮城さん独自の理由があり、技術を学ぶために工房へ通う様子は

嬉々としていたと思う。晩年、車椅子で人前に出られる折はきもの姿が多く、微笑ましく感じた。

子供たちの絵を使った¨ねむの木学園¨のグッズ
            ねむの木学園
        

4月2日(木)

やはり、きものを着て出かける状況ではなくなった。カレンダーに書き込んだ外出の予定が

一つずつ消えゆく。東京国立博物館のKIMONO展は現時点では変更なしとのこと

だが、是非そうあって欲しい。

少しでも気分が晴れるような過去に染めた帯を二、三点。



てまりの帯 帯
                                                    
蝶の帯 帯 
                                       
童子の風神雷神帯 帯
                        

3月1日(日)

今年は暖冬のせいか桜が咲くのも早いようだ。明るくなる光の中に日ごと春の気配を感じるが、

不穏な新型ウイルスの心配もあり、例年通り花に酔い、浮かれることができるだろうか。

春には明るく優しい色のきものを着たいと思っているのだが…………。

                            
辻が花風の訪問着 辻が花のきもの                        

                      辻が花のきもの
                             
この辻が花風訪問着は一九八〇年代に染め、金茶の帯は昨年御註文を頂き、つい最近染め上がった。

両方とも鬼しぼ縮緬を、絞りの技法は使わず真糊とぼかし彩色で辻が花に見えるよう工夫している。

だから、辻が花という。


                 帯               
                                                                             
 
2月9日(日)

NHKの大河ドラマ<麒麟がくる>は颯爽とした若き明智光秀がグリーンのきもので登場し、

戦国時代は派手な衣服が好まれたという解説もあった。画面に溢れるシンプルで鮮やかな色彩は

目がチカチカしないでもないが下克上の風潮を伴う、民衆の逞しい活力を表現しているのだろう。

戦国時代の派手な衣服といえば織田信長を筆頭に、中国・南蛮貿易からの影響を受けた武将達の

自由で大胆な胴服や陣羽織が思い浮かぶ。以前、上杉謙信所用の縫合胴服を写真で見た時、その

高尚さに瞠目した。

 謙信の縫合胴服 胴服

この胴服は古い端切れを使っているのではない。明から輸入された十五種類の金銀襴緞子を

それぞれにカットし、配置を吟味して縫合せている。戦国武将の矜持を感じ、溜息が出た。

恥ずかしながら初めての個展の折、この胴服の感動を基にコートを染めた。名物裂に惹かれている

時期で、鬼しぼ縮緬地に間道(カントウ)の縞と遠州椿の文様を組み合わせた。

意外にも、ほっそりとした上品な中年の夫人がお召し下さることになった。


赤坂”辻が花ギャラリー出品 コート         
  
                            
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