2015年
12月27日(日)
ピエロ 本友禅帯 太鼓に出る模様
今年最後に納めたのはピエロの帯。私はピエロが好きで見本用に染めていましたが
市松の変形のような生地や黒の地色も好まれて、手元から離れることになりました。
下の写真は締められた時、前に出る模様です。当方は関東風、関西風、どちらでも締められますよう
両面に模様を描きます。
ピエロが好きといいましたが正確には気になるという感じで、映画やショーなどに出てくると
何となく嬉しく感じます。以前デパートの催事場で、茶の泥大島の作務衣をお召しのおじいさんがいらしたので
呉服関係の方かなと思って近寄ると、手作りのピエロの人形を売っていました。
きものの残り裂を使って奥さんが縫い、顔と手は画家であるおじいさんの担当だと説明してくれました。
ピエロのきりっとした表情と繊細な指に魅せられ、二体買うことにしました。
長年本箱の中で他のピエロと並んで座っていますが、あの時ランチタイムで場を外していてお会いできなかった
奥さんは、どんな方だったのだろうと思うことがあります。
デパートの催事で買ったピエロ
11月16日(月)
ポスターになった昭和初期の銘仙
<きものモダニズム>という銘仙の特別展が六本木の泉屋博古館分館で行われています。
最寄駅にはきもの姿が目立ち、会場へ向かう途中でも、それぞれに趣向を凝らしたきもの姿を見ることができました。
会場に入ると入場者の半分以上が個性的なきもの姿、イヤーリングなどは大人しい方で、ハイヒール、ブーツ、
唐桟のきものにベレー帽を被った若い女性もいました。私は休憩用のソファーに座り込んで眺めながら、街中で
これだけのきもの姿に会えたらどんなに愉しいだろうと思ったりしました。
銘仙は大正から昭和にかけて流行した普段に着るきもので、化学染料の鮮明な色彩、アールヌーボー調など洋風の
大胆なデザインを特徴とします。今回のように一堂に並んだ銘仙から発するパワーは強烈で、インサイダー情報によれば
図録は売り切れになりそうだということでした。
これからのきものの在り方を、改めて考えさせらた時間でした。私も子供の頃によく着ていた銘仙、軽やかな風合が懐かしい。
懐かしい風合、着心地?発するパワー? もっと、考えなくてはいけません。
7月1日(水)
「あなた達、出番ですよ!」と、20年前に描いた図案、風神雷神の童子達に呼びかけながら染め始めた。
久し振りに電話を頂いた方から反巾帯の御註文があり、何にお締めになるのか伺うとやはり浴衣だと仰った。
季節のものなので直ぐにお会いしたいというと、藍系の浴衣2枚を持ってお出でになった。人形の文様が
お好きで以前に猩々と七福神の帯を納めた。まず風神雷神の童子の図案を見てもらい、それから色々と
季節に合う図案を出してみたが童子がお気に召したらしく即決だった。ちょうど代謝色の紬が手元にあったので
焦げ茶を基調とした素描友禅にすることになった。面白いように筆が走り元気な童子になった。
6月2日(火)
岩合光昭さんといえばネコ、ネコといえば岩合さん、NHKBSプレミアムの番組<世界ネコ歩き>は
大変な人気のようで、繰り返しバージョンを変えて放映されている。わざわざチャンネルを合わせることはないが
予期せず画面に岩合さんのネコ達が出ると思わず見入ってしまう。私もファンの一人かも知れない。
テレビのネコ達を見ながら、何年も前に買った<子いぬ>という写真集を思い出し手に取ったことがある。
戌年に生まれる赤ちゃんの祝着を染めるために選んで買った写真集で、もしやと思ったがカメラマンを確認すると
ヤッパリ!岩合さんだった。ヤッパリというのはテレビの動く画面から受ける印象と人のいない犬だけの写真集から
受ける印象、つまり生き物に接する感覚や愛情が似ているのだ。<子いぬ>は野原の草や土の匂い、風さえ
感じさせてくれ、祝着を染め終えた後も、疲れた時など何度か手にして眺め癒されたものだ。
銀座の化粧品会社のギャラリーで岩合さんの<ニッポンの犬>という写真展が開催されている。
珍しい四国犬や弘法大師を高野山へ導いた伝承を持つ紀州犬など、六犬種が大自然の四季の中で活写され、
犬好きな私にとっては心和む写真展だった。
お宮参りの祝着
岩合さんの<子いぬ>から、犬種にかまわず元気な形の良いポーズ選び、白い毛並みに薄茶の班を入れ
兄弟のようにアレンジした子犬の図案を作った。熊本と香川の郷土玩具に戯れる子犬達。
糸が髭のようにピョンピョンはみ出た紬を入手した際、祝着の子犬の図案を縮小し、地色違いの帯を何本か染めた。
子犬とおもちゃ 本友禅帯
4月1日(水)
花の帯
四月四日から公演される美輪明宏さんの<黒蜥蜴>の舞台が今回で最後になるそうだ。
初演は一九六八年のやはり四月、友禅染の仕事を始めたばかりの私は青山学院大学近くの親戚の家から、
渋谷駅ビルのデパートにあった東横劇場へ歩いて観に行った。明智小五郎は天知茂さん、妖しさ漂う
鮮烈な舞台だった。
親戚の家は青山通りから東へ入った二筋目にあり、その頃は静かな住宅街だったが、ポツリポツリと
スナックと呼ばれる店ができ、”青い部屋”という少しゆったりとした個性的なスナックが近くにできたのも
そのような頃で、近所の人の話によると経営しているのはシャンソン歌手で推理作家の戸川昌子さん、
深夜になると稀に御本人が現われシャンソンを歌うということだった。そんな噂を耳にした、お酒大好きの
義叔父が夜遅く出掛けて行った。珍しく、飲めない叔母も一緒に。早寝早起きの私が寝所でウツラウツラしていると
帰って来た叔母の子供のように弾んだ声がドア越しに聞こえた。「丸山(美輪)明宏が来たのよ、赤いブーツ履いて、
外車に乗って!」 <黒蜥蜴>の舞台を終えた美輪さんが”青い部屋”に現われたらしい。その年<黒蜥蜴>は
木村功さんの明智小五郎役で映画にもなり、美輪さんの美貌は連日のように新聞や雑誌の紙面を賑わせた。
私も夕方の早い時間に何度か”青い部屋”へ行ったことがある。白いシャツのボーイッシュな若い女性が寡黙に
応対する店で、不思議なことにアバンギャルドなインテリアにも関わらず、いつも入口に腰かけ丁重に挨拶して
くれるママらしき五十代(?)の女性は古風なきもの姿だった。きものだけでなく髪型や物腰も極めて古風で、
スナックのママというより料亭の女将のような雰囲気があり一年中きもの、夏は浴衣姿をよく見かけた。
考えてみればあの頃、同じ筋にあった洋裁塾の小柄で威勢のいい先生も一年中きものを着ていて、教える際は
真っ白な割烹着をかけた。気合を入れるためだったのだろうか、洋裁塾なのに別段おかしいとも感じなかった。
日常にまだまだきものが活きていた時代だった。
美輪さんの初演<黒蜥蜴>では髪をセンターから分け、ブルーグレーのきもので佇む場面が印象に残っている。
最近テレビなどで菩薩のように微笑む美輪さんはいつも三宅一生さんデザインのものをお召しだが、
今回舞台では、きものの場面があるのだろうか。あるとしたらどんなきものなのか興味津々である。
1月9日(金)
1946年のお正月、つまり戦後初めて迎えたお正月の光景を進駐軍が撮影していて、今年の元旦に
テレビで放映された。驚いたことに食糧難など厳しい状況にも関わらず人々の顔は晴れやかで、女性達は
ほとんどきもの姿だった。鮮やかな桃色、化学染料のローダミンで染めた羽織やコートに黒いビロードの肩掛を
合わせた人が多く、目がチカチカするようだった。長い間、タンスや押入にしまい込まれていたきものが何の
憚りもなく外気に触れ、まるで花が一斉に咲いたように輝いていた。
私もお正月はきものと教えられて育った世代で、年月を経るごとにきものが生活から遠ざかり、昨今の殺風景な
お正月を嘆かわしく感じている。
竹に舞楽文様の附下 本友禅と素描を併用
今年の初釜のために御註文を受けた附下。竹地紋の生地に、竹と舞楽の兜や楽器の文様。
お召しになられる方は身長173cm、写真が届くのを心待ちにしている。
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